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ポジティブ思考のワナ

ポジティブ思考のワナ

僕は、ときどき、ものすごいポジティブな人に出会うことがあります。

本当にポジティブな人もいれば、無理して明るく振る舞い過ぎな人もいます。

ポジティブな人は、ネガティブなことを考えるのは悪いこと心のどこかで思っています。

でも、無理して明るく振る舞い過ぎれば、どんどん苦しくなります。

自分の心の内側の声を無視し続けると、もっと大きな声になってあなたに迫ってきます。

それが大きくなりすぎたときに精神疾患になったり、ときには奇行に走ることもあるかもしれません。

■自分自身会ってきた人をみて思うこと

僕の友人で、社会人になってから猛烈な勢いで仕事をしている人もけっこういます。

見ていて「すごいな、自分も、うかうかしていられないな」と最初は感じます。

しかし、何回も会って話を聞いていると、「ちょっと無理をしているな」と感じるようになります。

そういう友人と何年かして再会します。すると、以前とうって変わった姿になっている人も残念ながらいます。

逆に、仕事のやる気を失って元気をなくしてしまった人に会って話を聞くと、過去は信じられないくらい仕事をしていた人だったなんてこともあります。

不思議ですが、極端にいった人は、どこかのタイミングで大きく反対にふれているように思います。

■ポジティブとネガティブの両方とも大事

ポジティブもネガティブもそれ自体は悪いことではありません。

ネガティブに何かいいことあるのか、と感じる人もいるかもしれません。

この点、ネガティブな感情には、感じる心があります。そういう心情でいるとき、人は心の「痛み」を感じることができます。

以前、ある人から、ポジティブな考え方をする人は、普段観ないような悲しい映画を観たり、バラードを聴いたり、悲しいストーリーの小説を読むとよい、と言われたことがあります。

悲しい話を聞いても暗くなるだけではないかと思うかもしれません。

実は、まさにその通りで暗い気持ちになります。なせなら、悲しいストーリーには人の「痛み」が描かれているからです。

そんな「痛み」にふれることが何につながるか。それは、自分の感性のアンテナの感度を上げることです。

「悲しい話を聞いてもしょうがない」、こう感じる人は、ポジティブに傾きすぎな方かもしれません。

そういう人こそ、「痛み」にふれることで、自分の「痛み」を感じることが必要かもしれません。

ネガティブな感情も適度に解放する、これは、今の時代に軽視されている大事なことの一つだと思います。

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